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越谷市 Koshigaya City

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更新日:2015年12月16日

ページ番号は58610です。

大相撲立行司 第40代 式守伊之助さん

型にとらわれず、自然体で動くのが「名行司」。一番一番頭を切り替え、新しい気持ちで裁く。

日本の国技・大相撲は、横綱を筆頭とする力士たちが主役。その主役たちがいい相撲を取れるように、土俵の上でも土俵の下でも支えるのが「行司」という仕事。現在その行司職の最高の地位である「 立行司 (たてぎょうじ)」を一人で務めている第40代・式守伊之助さんに、40年に渡る行司生活と角界について伺いました。

プロフィール

本名・ 野内五雄 (のうちいつお)さん。昭和34年12月23日、大阪府岸和田市生まれ。平成4年から越谷市在住。昭和50年2月、15歳で宮城野部屋に行司として入門し、同年3月「式守吉之輔」の名で初土俵を踏む。
平成3年1月に31歳で「十両格」、平成23年11月、51歳で「三役格」への昇進を経て、平成25年11月、53歳で「立行司第40代・式守伊之助」を襲名。
平成27年3月、第37代・木村庄之助氏が引退したため、現在は一人で立行司を務めている。

力士での入門を断られ行司の道へ

幼いころから相撲が大好きで、当時の大関・ 清國 (きよくに)関の仕切りのきれいさに憧れていたという伊之助さん。
「相撲は好き、でも勉強は嫌いという子どもでしたから、中学を卒業したら力士になろうと思っていました。卒業が迫ってきたころ、入門させてもらおうと相撲部屋を訪ねて回ったのですが、身長が165センチしかないものですから、どの部屋からも断られてしまって。その時訪ねた宮城野部屋で親方から、どうしても相撲の世界に入りたいなら行司にならないか?行司になったら、番付表に名前が載るぞ!と声を掛けられたのが、行司になるきっかけです」と伊之助さん。
そして宮城野部屋への入門が決まったのが、中学卒業目前の昭和50年2月。そのころ宮城野部屋には行司がいなかったため、一門である立浪部屋の行司(当時の式守伊之助)さんに指導を受け、1カ月後の大阪場所で〈式守吉之輔〉の名で初土俵を踏み、行司人生の幕が開けました。

「勝負を裁く」のは行司仕事のごく一部

相撲は好きでも、行司については"勝負を裁く人"という以外、ほとんど知識がないままの入門。入ってみて、仕事の幅広さや覚えることの多さに驚いたと言います。
「相撲部屋の掃除や親方のお茶くみなど下働きをする以外にも、力士が場所の成績に合わせてもらう給金(褒賞金)の計算や、番付表や取組表に使われる〈相撲字〉という独特の文字を覚えるのが大変でした。そもそも読み書き、そろばんが苦手でこの世界に入ったのに、これは参ったなと。でも部屋には同世代の力士がたくさんいて、兄弟のように毎日ワイワイやっていたおかげで、辞めようとか家に帰りたいとか思わず、続けて来られました。今も昔も変わらず、相撲の世界は力士も行司も床山も呼出しもみんな一緒に育っていく、家族のような集まりですから」と伊之助さん。
日本相撲協会の中には、伊之助さんをはじめ各部屋に所属する全行司の集まり〈行司会〉があります。行司の仕事は多岐に渡り、本場所中は取組の決まり手を伝える場内放送と、審判部が行う取組作りに必要な過去の対戦成績などのデータ提供も担当。場所後に各地を回る巡業では、日程調整から交通手段、宿泊先の手配などを取り仕切るそうです。
「力士がよりよく相撲を取れるように、また親方衆の仕事がスムーズに進むようにサポートする、いわば"角界の潤滑油"になるのが行司の役割。〈土俵上で勝負を裁く〉のは、仕事のごく一部です」
と伊之助さんは言います。

力士を追いかけて動き負けを見て、勝ちを上げる

"勝負を裁くのは行司の仕事の一部"ではあっても、当然ながら責任は重く、プレッシャーもひとしお。正しく裁くための心得は何かと伺うと、
「観客のみなさんは、どちらが勝ったかを見ていると思いますが、行司はどちらが負けたかを見て、その逆の力士に軍配を上げるのが鉄則。そのためには力士の動きに追われてはダメで、行司が力士を追いかけて見るのが基本です。そして私が特に心掛けているのが、一番一番新たな気持ちで勝負に取り組むこと。たとえ差し違えなどの失敗をしても、反省は後回しにしてすぐに忘れて切り替える。前の勝負が頭に残っていると、正しい判断ができませんから」。
そう語る伊之助さんには、理想とする裁き方があると言います。
「行司には決められた所作はありますが、動きは各自の自由なので、行司それぞれに味があってもいい。でも本来は自分の型にとらわれず、自然体で勝負の流れを見極めるのが名行司。常にそうありたいと思っていますが、熱戦になれば行司をしながらも興奮してしまうこともあって、なかなか自然体にはなれません」
立行司という最高位に就いた現在も、本場所中は毎日自分の裁いた取組のVTRを見て所作や動きのチェックを欠かさない伊之助さん。次は、今年3月から空位となっている〈木村庄之助〉という立行司トップの地位が期待されています。
「木村庄之助はやはり憧れの名前。でも私が受け継ぐかどうかは協会が決めること。私は行司の役割を間違いなく無事に務めること、それを一番に考えていくだけです」

本場所や巡業前には必ず久伊豆神社にお参り

伊之助さんがご家族と越谷に住み始めたのは23年前。お子さんの体調を考えてのことだったそうです。
「長男がぜんそくを患っていたので、自然が多くて学校が近いところ、そして私の国技館への通勤にも便がいいところと考えて、家内と相談して越谷を選びました。家内は越谷に来て子育てしやすかったようですし、長男も無事元気に成長しました」と伊之助さん。
越谷のお気に入りの場所は久伊豆神社で、本場所や巡業が始まる前、必ず奥様とともに興行の無事と行司仕事に失敗しないことを祈願するそうです。また越谷出身の幕下力士・阿炎さんについては、
「手足が長く懐が深い。体格がいいし、なかなかの男前で人気もありますよね。まだ21歳と若く、将来が楽しみな力士です。たとえば彼のような地元の力士など、自分のひいきの力士を見つけて相撲を観ると、相撲の面白さや楽しみが広がると思います」と伊之助さん。
一時期人気に陰りが見えた大相撲ですが、最近は若い女性の観客も増えて活気を取り戻しています。
年明け1月10日から始まる国技館での初場所は力士の熱戦を観るとともに、土俵上で軍配を高らかにりり掲げる伊之助さんの凛々しい姿にも注目しましょう。

インタビュー記事のダウンロード

広報こしがや季刊版 平成27年冬号(平成27年12月15日発行)に掲載

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