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越谷市 Koshigaya City

更新日:2011年10月30日

ページ番号は58619です。

男子バレー 八子大輔さん

 越谷市が生んだ、超高校級のエースアタッカーは、今年4月、男子バレーの「名門」東海大学への進学を決めました。
「実業団からも声がかかっていたが、周囲と相談のうえ、将来教員免許を取得するためにも進学を決めた」と語る八子大輔さん。深谷高校の卒業式の前から、大学の練習に参加している八子さんに、その雰囲気を聞いてみました。

将来の夢は、オリンピックに出ること。出会った人のいいところを、全部、学んでいきたいです。

オンとオフの切り替えが見事です

 「みんな、バレーに取り組む姿勢が真面目。バレーの時は、普段オフになっているスイッチがオンに切り替わる。そこが、いい所です」。早くも大学では、その切り替えの見事さが印象的だったよう。さらに、中・高校生時代のバレーへの取り組み方の変化については、「中学までは、がむしゃらにやっていました。高校に入ってからは、考えるバレーというか、そういうのを勉強させてもらって。埼玉選抜の合宿では、周りは先輩ばかりで、みんな自分の考えを持っていたから」と語ります。また、練習については「厳しくて苦しいだけの練習じゃ、やっている意味はない。やるなら、好きでやってるスポーツだから、やっぱり楽しまないと」。また、「その練習で、どういう効果があるか?と考え、それにつなげる、という気持ちでやります」。

アドバイスは、「とにかく一生懸命やれ!!」

 中・高校生のバレー部員にアドバイスを、とお願いすると「一生懸命やれ。それだけです。それが一番です」と答えてくれました。

春高バレーでは、プレッシャーをエネルギーに変えて戦った

 八子さんが深谷高校時代に成し遂げた、春高バレー(春の全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)二連覇。二年目のプレッシャーはありませんでしたか?との問いには「二連覇して当然、と周りは見ていたと思う。だから、逆に、そのプレッシャーを、『自分たちは強い』、という気持ちに切り替えていきました。意識的に?はい、そうしないと、やっていけないかな、って。僕は、そう思っていました」。自ら考え、行動する八子さんに、人生で誰の影響を一番受けたと思いますか?と質問すると、「誰、というより、出会った人のいいところを全部、学んでいきたい」という答えが返ってきました。
 「将来の夢ですか?オリンピックに出て、またバレーの人気を取り戻したい」。春高バレーは、野球に例えると甲子園。
 ただ、「春高バレーと甲子園を比べると、見ている人の数や注目のされ方が全然違う」。
 「バレーボールは、サッカーや野球に比べると人気がない」と語る18歳のエースアタッカーは、バレーの将来のことまで考えていました。

越谷市での思い出は、夏の花火大会

 「越谷の思い出は、花火大会。一回だけですが、けっこう覚えています」。「今年の正月には、地元の友達と久々に遊びました。小・中学校とずっと一緒にやってきた仲間だから、楽しかったです」。やはり生まれ故郷に帰ると、ホッとするようです。

夢は、世界へ

 越谷から世界へ。穏やかな中に、強い意志を持つ八子さんは、きっと、越谷市民だけでなく日本中の人を、バレーに夢中にさせてくれることでしょう。「しっかりした大人になりたい。自分のことは自分で」と語る才能豊かな18歳は、将来のオリンピックに向けて「がんばります!」と力強く語ってくれました。彼のさわやかな笑顔が、日本へメダルの夢を運んでくれるかもしれません。

プロフィール

1988年10月7日、越谷市生まれ。大相模小学校を経て、大相模中学校2年生のとき、高校バレー界の名門・県立深谷高校へと進むため、同学区の岡部中学校へ転校(*学区制は当時)。深谷高校1年生のとき、彩の国まごころ国体で優勝。2年生でインターハイ優勝のほか、春の高校バレー大会では二連覇。アジア東部地区選手権大会優勝、アジアジュニア選手権大会準優勝など大きな実績を残す。2007年春、東海大学体育学部へ進学。194cm、86kg。

広報こしがや季刊版平成19年春号に収録

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ファクス:048-965-0943

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