写真で見る越谷(水害・農業)
更新日:2020年12月21日
水害
カスリーン台風(大橋と大沢町)
大戦の傷跡がまだ癒えない昭和22年(1947年)のことでした。
9月16日午前0時20分頃、利根川に架かる栗橋鉄橋付近で決壊した濁流は県東部から東京・葛飾区や江戸川区一帯まで浸水させました。
当時はGHQ(連合国軍総司令部)占領時で、米国の慣習によって台風には女性名がつけられました。
ボートで道路通行
昭和46年(1971年)6月、梅雨の最中に排水量を上回る豪雨により、市域の中には道路が川のようになってしまう所もありました。
古来“水郷”と言われた越谷地域は、川の恩恵にあずかることも多くありましたが水害に見舞われることも多々あり、現在でも治水は大きな課題です。
このような状況を改善するために、元荒川と葛西用水(逆川)の分離工事や大吉調節池及び大相模調節池が建設されました。
農業
バタリー養鶏
種別農業販売高割合(昭和40年越谷市勢要覧)
越谷市は昭和30年代から40年代頃まで全国でも有数の養鶏産地でした。
特に多く鶏が飼育されていたのは増林地区で、続いて大相模、大袋、越ヶ谷地区となっていましたが、多頭飼育による伝染病の発生や、近隣住宅地への悪臭問題などにより次第に少なくなっていきました。
お問い合わせ
教育総務部 生涯学習課(第二庁舎4階)
電話:048-963-9315 ファクス:048-965-5954