6世紀後半、見田方(現在の大成町)に集落がつくられ、人びとが生活するようになったんだ。たくさんの川にかこまれたゆたかな土地で、米や野菜を作ってくらしていたよ。
江戸時代になると、日光までの街道の宿場町として栄えたんだ。徳川家康は、げんざいの御殿町に「越ヶ谷御殿」を建てたんだ。将軍家の人などが狩りで越谷に来たとき、休憩するのに使ったんだよ。また、越谷で作られた米や野菜は、川から舟で江戸などへたくさん出荷されていたよ。

明治32年になると、越谷に蒸気機関車が走るようになったんだ。東武鉄道が千住から久喜まで開通して、越ヶ谷(現在の北越谷駅の場所)と蒲生に駅ができたよ。
大正2年には越ヶ谷町と大沢町に電灯がともるなど、しだいに近代化がすすんできたけれど、多くの人は農業を中心に、だるまや桐たんす、ひな人形といった地域の産業を受けついで生活していたんだよ。
そして、昭和29年11月に、2つの町(越ヶ谷町、大沢町)と8つの村(桜井村、新方村、増林村、大袋村、荻島村、出羽村、蒲生村、大相模村)が合併して越ヶ谷町になり、30年11月に、となりの草加町にあった川柳村の一部が越谷町になって、今の越谷市の形になったんだ。
越谷市になったのは昭和33年11月。埼玉県内で22番目、全国では543番目だったんだ。人口は4万8318人だったよ。今と比べると、ずいぶん少ないね。