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越谷市になるまでの歴史を教えて!

ページ番号9067です。

大昔 (おおむかし)から 江戸時代 (えどじだい)

 6 世紀後半 (せいきこうはん) 見田方 (みたかた) 現在 (げんざい) 大成町 (たいせいちょう))に 集落 (しゅうらく)がつくられ、 (ひと)びとが 生活 (せいかつ)するようになったんだ。たくさんの (かわ)にかこまれたゆたかな 土地 (とち)で、 (こめ) 野菜 (やさい) (つく)ってくらしていたよ。
 江戸時代になると、 日光 (にっこう)までの 街道 (かいどう) 宿場町 (しゅくばまち)として (さか)えたんだ。 徳川家康 (とくがわいえやす)は、げんざいの 御殿町 (ごてんちょう)に「 越ヶ谷御殿 (こしがやごてん)」を ()てたんだ。 将軍家 (しょうぐんけ)の人などが ()りで越谷に来たとき、 休憩 (きゅうけい)するのに 使 (つか)ったんだよ。また、越谷で作られた米や野菜は、川から (ふね)で江戸などへたくさん 出荷 (しゅっか)されていたよ。

明治 (めいじ)時代から 大正 (たいしょう)時代

 明治32年になると、越谷に 蒸気機関車 (じょうききかんしゃ) (はし)るようになったんだ。 東武鉄道 (とうぶてつどう) 千住 (せんじゅ)から 久喜 (くき)まで 開通 (かいつう)して、越ヶ谷(現在の 北越谷駅 (きたこしがやえき) 場所 (ばしょ))と 蒲生 (がもう)に駅ができたよ。
 大正2年には越ヶ谷町と 大沢 (おおさわ)町に 電灯 (でんとう)がともるなど、しだいに 近代化 (きんだいか)がすすんできたけれど、 (おお)くの人は 農業 (のうぎょう) 中心 (ちゅうしん)に、だるまや (きり)たんす、ひな 人形 (にんぎょう)といった 地域 (ちいき) 産業 (さんぎょう) ()けついで 生活 (せいかつ)していたんだよ。

昭和 (しょうわ)時代から現在

 そして、昭和29年11月に、2つの町(越ヶ谷町、大沢町)と8つの村( 桜井村 (さくらいむら) 新方 (にいがた)村、 増林 (ましばやし)村、 大袋 (おおぶくろ)村、 荻島 (おぎしま)村、 出羽 (でわ)村、 蒲生 (がもう)村、 大相模 (おおさがみ)村)が 合併 (がっぺい)して越ヶ谷町になり、30年11月に、となりの 草加 (そうか)町にあった 川柳 (かわやなぎ)村の 一部 (いちぶ)が越谷町になって、今の越谷市の (かたち)になったんだ。
 越谷市になったのは昭和33年11月。 埼玉県内 (さいたまけんない)で22 番目 (ばんめ) 全国 (ぜんこく)では543番目だったんだ。 人口 (じんこう)は4 (まん)8318人だったよ。 (いま) (くら)べると、ずいぶん (すく)ないね。

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