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塩かけ地蔵

ページ番号59701です。

塩かけ地蔵【光明院(大沢)】

元禄年間、今から約300年以上前のこと。大沢の農家与兵衛さんの家に、次々と太った男の子が誕生したそうです。
初節句も無事に済み、すくすくと育っていきましたが、ある日のこと、子どもたちは高い熱を出すと、そのまま意識をなくしてしまいました。若い両親は、それまで経験したこともない病気に、すっかり気が動転し、ただオロオロとするばかりです。医者よ薬よと八方手を尽くして手当をしましたが、一向に良くなりません。おばあちゃんも、かわいい孫のこと、気が気ではなく、あちこちの神や仏に祈りましたが、さっぱり治りません。
そんなある日、近所の人がこう教えてくれました。「大沢のお地蔵さんは、大層ご利益があるそうじゃ」。おばあちゃんは早速出かけて、「かわいい孫の病気を治してくれるなら、必ず“塩断ち”をいたします」と願掛けしました。塩のない生活をするのは、大層辛抱のいることだったのです。
その夜のこと、お地蔵さんがおばあさんの夢枕に立って言ったそうです。「三日三晩の後、孫の病は治るぞや」。するとどうでしょう。お告げのとおり孫はみるみる元気になりました。おばあちゃんは、願掛けの証として、3日分の塩を持ってお礼参りに出かけました。
大沢光明院のお地蔵さんに塩を振りかけるのが習わしになったのは、それ以来のことだといいます。今では、お地蔵さんは、長い間に塩で溶かされ、元の形もわからないほどですが、それでも子どもの苦しみや悲しみが救われたためだと、醜い姿でも満足しているように見えます。

光明院住職蛭田智之さんにお話をうかがいました

私が子どものころ(50年くらい前)は、今よりもう少し大きかったです。東日本大震災のとき、本堂の正面に設置していた石灯篭は倒れるなど大きな被害を受けてしまいましたが、お地蔵様は被害を受けることなく、今でも江戸時代からのお姿をとどめています江戸時代、塩は高価なものだったので、人々は塩を断って願をかけ、願いがかなったときにはお礼参りをしてお地蔵様に塩をかけたそうです。この塩によって風化し、現在のようになっています。現在は、お地蔵様の姿形を感じることはできないかもしれません。(写真左)
現在お地蔵様は、本堂に向かって左側に安置していますが、以前は本堂をはさんで反対側にあり、本堂の建て替えと併せて今の位置に移動しました。平成30年に二代目となるお地蔵様をお隣に建立いたしました。初代のお地蔵様も、二代目のお地蔵様と同じくらいの大きさだったと考えられます。今では厚みも薄くなり、折れてしまう危険性もあるため、塩はかけないようお願いをしています。


江戸時代に建立された塩かけ地蔵(左)

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