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現在のように、上流にダムがあるわけではなく、土木工事も貧弱であった昔のことです。川の多い越谷付近では、夏から秋にかけては、大きな水害をたびたび受けたものでした。約230年前、天明6年(1786年)7月の大水も、そのひとつでした。見田方の八坂神社わきの元荒川堤防が切れて、大相模の人家や田畑が、それはもう大きな損害を受けてしまいました。堤防の切れたところが、川底のようにくぼんでしまって、大きな大きな内池が残りました。今でもそこは、ヨシや雑草が生い茂っています。
それからのことです。日が暮れてからこの辺りを通ると、池の中から「オイテケ、オイテケ」と悲しい声が聞こえてきます。また、ある人は、ここには大きな白い蛇が住んでいて、池のはたを通る人を水の中に引きずり込むのを見たことがあるというのです。ですから、みんなはここを“オイテケ堀”と呼んで、誰も近寄ろうとしませんでした。
ある日のこと、一人の巡礼者がオイテケ堀のそばを通りかかると、いつものように「オイテケ、オイテケ」と悲しい声が聞こえてきて、何も知らない若い巡礼者は、あっという間に大蛇に飲み込まれてしまいました。翌日、このことを知った村人たちは、かわいそうな巡礼者のために早速ここに水神宮と弁天宮をお祀りし、池の主を慰めました。それからというものは白い蛇も姿を消し、「オイテケ、オイテケ」の声もしなくなったということです。
水害をたびたびうけたところでは、こうした言い伝えがたくさん残っています。当時の人々が大水をどんなに恐れ、恨んでいたかを物語っているようです。
【天明6年の大水とは?】
天明3年(1783年)、浅間山が大噴火を起こしました。この噴火により大量の溶岩と火山灰が噴出。直後に吾妻川水害を発生させ、3年後の天明6年に利根川流域全体に洪水を引き起こしました。
大相模地区の見田方の八幡神社の裏に弁天内池という巨大な池がありました。内池とは、元荒川の堤土手道の内側にあった池です。昔からこの池には大きな白い蛇が住んでいるとの「白蛇伝説」がありました。たまに人が通ると蛇が巨大な姿を現して、その人を池の中に引き込むと人々はうわさしました。そこで地元の人々は水の神様の弁天様を池の中央の小島にお祀りしました。すると白蛇は人々の前に現れなくなりました。
若い人の間ではこの白蛇伝説が忘れられようとした昭和30年代(1960年頃)になって、東京都墨田区本所の「おいてけ堀」伝説が越谷にも入ってきたようです。池のそばを通りかかる時に「置いてけ、置いてけ」という声が聞こえたら、手に持っている物を置いて逃げたといいます。
本所の「おいてけ堀」伝説の影響を受けた「白蛇伝説」が、越谷の民話「オイテケ堀」として広まりました。地元由来の「白蛇伝説」を文化遺産として後の世まで残しておきたいものです。
※NPO法人越谷市郷土研究会所属 加藤幸一さんにお話を伺いました
江戸時代の弁天内池の図
現在のオイテケ堀
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