ページ番号9096です。
ガーヤちゃん
江戸時代よりも前は、出羽地区や荻島地区、瓦曽根、花田、さいたま市岩槻区釣上(かぎあげ)などの広い地いきを「越ヶ谷郷(ごう)」とよんでいたんだ。ある
江戸時代になると、江戸(今の東京)を中心に道をととのえたんだ。当時は車も自転車もないから、どこに行くのにも人は歩いたんだよ。そのつかれを取るために、日光
越谷の「コシ」は「腰」とも書かれて、山やおかのふもとのことで、「ヤ」はしっ地とかの低い土地のことを言うんだよ。つまり、越谷は台地のふもとにある広い地いきということなんだ。だから、昔は腰ヶ谷とも書いたみたいだよ。
Copyright Koshigaya City All Rights Reserved.