ガーヤちゃん
弥十郎
は、江戸時代のはじめに、大房村に住んでいた
弥十郎
という人が、あたらしく田んぼをつくったところだから、この地いきを
弥十郎
と名づけたんだよ。
向畑
はもともと、大吉・川崎・大杉・大松・船渡(ふなと)の5つの村が、この地を持っていたんだ。だから、向かいの畑、つまり
向畑
とよばれたといわれているんだ。
北川崎は、もとは川崎村といったんだけど、明治12年に
郡
(村の集まり)をつくったときに、同じ
郡
の中に同じ村の名まえがあるのはわかりにくいという理由から、村の名まえの頭に北がつけられたんだ。あと、川崎とは、川や海につき出たところをいうんだけど、越谷の川崎は古利根川(ふるとねがわ)のまがっているところから名づけられたみたいなんだ。
大吉は、もとは大芦(おおよし)とも書かれていたんだ。芦(イネ科の植物)がたくさん生えている土地からつけられた名まえみたいだよ。