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「パリ2024パラリンピック競技大会」ブラインドフットボール日本代表として出場した、鳥居 健人選手(越谷市出身)。大会後、久しぶりに越谷市のご実家に帰省したそうです。(2024年9月30日の表敬訪問いただいた際にインタビューを実施しました)
会場に入場し、歓声を聞いたとき、自然と鳥肌が立ちました。もちろん緊張もありましたが、その緊張を打ち消すくらいの楽しみな気持ちが湧き上がってきました。あの時の歓声、鳥肌は一生忘れません。これまでさまざまな大会に出場してきましたが、初めての経験でした。パラリンピックは、これまで経験してきた国際大会・国内大会とはスケールが違いましたし、本当に多くの人たちが関わっている大会だと感じました。
私はあまり緊張するタイプではなく、いつもその場を楽しもうという思いがあるのですが、プレッシャーは感じていたのかもしれません。ただ試合が始まると、“この大歓声の中でいいプレーをしたい”、“とにかく楽しみたい”という気持ちのほうが強かったです。
3試合目のアルゼンチン戦は闘争心の塊で臨みました。これまでの試合で結果が残せず、チームの皆は落ち込んでいました。そんな状況でも今出せるすべてを出し切って1つでも高い順位を目指す気持ちで試合に臨みました。なんとか1点取ってムードを変えたかった。どのような状況でも全力を出し切るんだという強い気持ちがありました。
まずは、「見える人」と「見えない人」が同じピッチに立って協力して勝利を目指します。ゴールキーパーやガイドから情報やアドバイスがあり、そのサポートを受け、見えないフィールドプレーヤーがディフェンスをし、ゴールを狙います。同じ空間で協力して競技が成り立つところが一番の魅力です。
もう一つは、「見えない人」が一番自由に動けるスポーツだということです。自分が思い描くイメージや、瞬間的に湧き上がるひらめきを瞬時に行動に移せる競技、それがブラインドフットボールだと思います。
ボールの音や相手の声によって位置を把握し、ゴールキーパー、ガイド、監督など「見える人」からの声でさまざまな情報を得ています。これらの音や反響を捉え、瞬時にピッチ全体を把握する空間認知も大切で、技術を生かし、プレーしていくために欠かせないものです。
2016年に友人と一緒に作ったチームで日本一を目標に、どのチームよりも厳しい練習をしてきました。全員が攻撃・守備をする「トータルフットボール」を掲げて練習することで、日本選手権やクラブチーム選手権などで日本一を獲得できました。
このチームを起点にどんどん選手を育てていきたいという思いがありました。チームから羽ばたいて、自由にブラインドフットボールというものを各地で広めてほしい、という思いがチーム名の由来です。
“帰ってくる場所”という思いが強いです。パラリンピック後、久しぶりに実家に戻ったとき、落ち着いて過ごせました。小さい頃からずっと住んでいたので、魅力を一言で語るのは難しいのですが、帰ってくると安心します。
越谷市に住んでいる皆さんには共感していただけるのでは。
もともと小さい頃から手先が器用でした。ものづくりに関わる仕事をしていた父親の影響かもしれません。料理に対して興味を持ち始めたのは中学生くらいのときで、家庭科の授業がきっかけでした。休日に“時間をかけて料理しよう”と思い、丸一日かけて作った豚の角煮が思い入れのある料理です。
ブラインドフットボールのことを多くの人に知ってもらいたいです。会場での観戦、映像での観戦、いろいろな機会がありますので、まずは知ってもらい、興味をもってもらい、そして応援してもらいたいと思います。
私は視力を失いましたが、障がいをもっていても、一人ひとりがそれぞれ違う個性を持っています。お互いを知って、理解していくことが大切だと思っています。
越谷市を一言でいうと・・・
「帰る場所であり、落ち着く場所」