更新日:2012年3月14日
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越谷の歴史 解説と写真(昭和30年代)
越谷市誕生。そして人口急増へ
昭和28年(1953)、町村合併促進法が施行され、町村合併の気運が高まる中、昭和29年11月に越谷地区2町8カ村が合併して、越谷町となりました。昭和30年9月には、町役場新庁舎が越ヶ谷一丁目に完成しました。その後、草加町の伊原、麦塚、上谷(うわや)の越谷町への編入を経て、昭和33年11月に市制が施行され人口4万8318人の越谷市が誕生しました。
当時の暮らしに目を向けると、昭和31年に経済企画庁(現在の内閣府)から発表された経済白書の副題には「もはや戦後ではない」と記されており、日本経済は高度成長へと進み出しました。昭和35年には、人口が5万人を突破しました。また、人口の増加に合わせて地下鉄日比谷線が北越谷駅まで相互乗り入れ、首都圏のベッドタウンとして、その後の人口の急増時代を迎えることになります。東京五輪開催で日本中が沸いた昭和39年、マイカー時代の到来に合わせて道路整備が進められ国道4号・草加バイパスの工事が始まりました。
▲越谷町役場庁舎(後の市役所庁舎)【昭和30年】
▲第1回町内一周駅伝競走【昭和31年】
▲堂面橋が完成【昭和31年】
▲越谷町合併3周年記念式典【昭和32年】
▲越谷市消防署が開署【昭和34年】
▲葛西用水と元荒川の分離工事【昭和35年】
▲国道4号バイパスの工事が開始【昭和39年】
▲越ヶ谷商店街(越ヶ谷本町・中町)【昭和30年代】
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