更新日:2011年4月1日
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越谷の歴史 解説と写真(昭和40年代)
日本の経済成長とともに都市化するまち
農地の宅地化や地下鉄日比谷線の東武伊勢崎線への相互乗り入れなどに伴い、昭和42年(1967)には、人口が10万人を突破しました。都市化の進展でまちの様子も大きく変り、人口の急増は、まちを活性化させる反面、さまざまな問題を抱えました。農地の埋め立てによる無秩序な住宅地の拡大、地下水の汲み上げによる地盤沈下、排水不良による浸水被害、汚水流出による河川の汚濁、交通事故や防災上の問題、学校や医療施設などの不足が生じてきました。これらに対応するため市では、さまざまな方策が進められましたが、増え続ける人口に追われるようなまちづくりの時代が続きました。
一方、昭和42年には、埼玉国体が開催され、越谷市ではバドミントン競技が行われました。また、この年、草加バイパスが開通し、高度経済成長に伴い増える交通量に対応しました。さらに、現在の市庁舎が完成、市制施行10周年を祝う式典とともに新築落成記念式典が執り行われました。
▲開通した国道4号バイパス(南荻島交差点付近)【昭和42年】
▲現在の市役所庁舎が完成【昭和44年】
▲市制施行10周年並びに市庁舎新築落成記念式典【昭和44年】
▲第1回商工物産展【昭和46年】
▲交通安全市民パレード【昭和46年】
▲武蔵野線が開通【昭和48年】
▲スポーツ・レクリエーション都市宣言【昭和49年】
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