更新日:2011年4月1日
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越谷の歴史 解説と写真(昭和60年〜平成6年)
快適で便利な生活のため都市基盤を整備
日本経済が安定成長に移行したころから人口の増加が落ち着きはじめ、スポーツや文化活動などの健康的で余暇を楽しむ生活が求められ、各施設の整備や各種団体の育成などの施策が進められました。昭和60年(1985)には、人口が25万人を突破しました。また、快適で便利な生活が営めるよう、道路や橋、公園、公共下水道、鉄道の高架複々線化事業など都市基盤の整備が進められました。昭和62年には、児童館「コスモス」の開館や県民健康福祉村のオープンがありました。昭和63年には、市制施行30周年を記念して「シラコバト」が市の鳥に制定されました。
平成に入ると東武鉄道伊勢崎線の連続立体交差事業が着工されました。平成3年(1991)には近隣公園として、全国初の本格的日本庭園「花田苑」が、平成5年には「こしがや能楽堂」が開館しました。平成6年には、一部高架が開通し、元荒川以南の踏切8カ所が解消されました。また、市の鳥「シラコバト」をデザインしたしらこばと橋が開通し、市のシンボルとなりました。
▲あだたら高原「ふれあいの森」の植樹【昭和61年】
▲児童館コスモスが開館【昭和62年】
▲市制施行30周年記念式典【平成元年】
▲日本庭園花田苑が開園【平成3年】
▲中央市民会館が開館【平成4年】
▲老人福祉センター「くすのき荘」が開館【平成5年】
▲一部(下り)が高架となった東武鉄道伊勢崎線【平成5年】
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