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越谷市 Koshigaya City

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更新日:2022年9月12日

ページ番号は12676です。

広報こしがやお知らせ版 平成30年6月の越谷市制施行60周年企画 きせき 越谷の軌跡(16面)(カラー面)

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越谷市制施行 60周年企画 きせき 越谷の軌跡

60周年

越谷今昔物語 八話 越谷の中学校


 昭和22年4月から、新学制による3年課程の新制中学校が発足した。この新制中学校が、小学校6年に続いて義務制とされたため、「六・三制」と称される現在の9カ年の義務教育制度が確立することとなった。戦後で資材が不足していたこのころ、新制中学校のほとんどが独立した校舎を持てず、小学校の一部の教室などを代用して開設された。
 越谷町が成立した昭和29年。町内に10校あった中学校を5校に統合し、施設や設備の充実を図ろうとする計画が町教育委員会を中心に進められた。この計画に、当時、独立した校舎がなく、小学校の敷地内に同居していた増林と大相模の中学校は中学校舎の新設を強く要望した結果、昭和32年に不動橋のたもとに統合中学校を新設するに至った。越谷初のこの統合中学校は、一般から学校名を募り「東中学校」と名付けられた。昭和33年の市制施行以降は、34年に中央中学校(越ヶ谷中学校と大沢中学校が統合)、35年に北中学校(新方中学校と大袋中学校と桜井中学校が統合)、38年に西中学校(出羽中学校と荻島中学校が統合)が開設された。また、昭和35年に蒲生中学校は南中学校へ改称された。
 昭和40年代の人口急増に伴い、43年から次々と小学校が新設される(広報こしがやお知らせ版平成30年4月号「越谷今昔物語 第六話 越谷の小学校(2)」参照)と、中学校も人口増に対応すべく、昭和47年〜59年にかけて、毎年のように10校が開校した(下表参照)。平成30年5月1日現在、市内の中学校には総勢8,438人の生徒が在籍し、勉強はもちろん、部活動や委員会活動などに励んでいる。
(参考:越谷市史二、平成29年度学校要覧、文部科学省「学制百年史」)

現在の東中学校。木造校舎のあった場所には、
昭和53年に職員室などが入る現在の校舎が建てられた 

昭和47年以降に開校した中学校

47年4月 富士中学校
49年4月 北陽中学校
51年4月 栄進中学校
52年4月 光陽中学校
53年4月 平方中学校
54年4月 武蔵野中学校
55年4月 大袋中学校
56年4月 新栄中学校
58年4月 大相模中学校
59年4月 千間台中学校
*各校の実際の開校日と開校記念日は異なります
わたしと越谷市
森 圭介さん
森 圭介 さん
 中学生までの私を振り返ると、初めての友達、緊張した小学校の入学式、暗くなるまで友達と遊んだ公園、熱中した少年野球、初恋、中学校までのあぜ道など、地元・越谷に密接につながる思い出がよみがえります。10代後半で進路に悩んだことも、満員電車に揺られて遠距離通学したことも、1人暮らしをして親のありがたみを知ったことも、すべてが、越谷が私に作ってくれた大切な思い出です。現在は、帰省に併せてレイクタウンを訪れたりしますが、子ども連れで安心してのんびり買い物ができるスポットがあるというのはありがたいな、と親になって改めて越谷のよさを感じています。
 1953年に日本でテレビの本放送が始まって65年。テレビは、街頭テレビから一家に一台、白黒からカラー、ブラウン管から薄型、アナログ放送からデジタル放送と、その形を変えながら今日に至ります。テレビアナウンサーという仕事柄、これからインターネットとの共存でテレビがどうなっていくのか楽しみです。そんなテレビの歴史とほぼ同じ時を刻んでいる市制施行60年の越谷市。"60"は時計でいうとようやく1周です。また次の1周が、越谷市と市民の皆さんにとってすばらしい時となることを願っています。
■アナウンサー
1978年11月20日生まれ。千間台小学校、千間台中学校、東京学芸大学教育学部附属高等学校、一橋大学卒業。日本テレビ放送網株式会社所属

市の人口 平成30年5月1日現在

人口 34万1,221人 (前月比126人増))
世帯 15万1,576世帯 (前月比348世帯増)
16万9,713人/td> (前月比21人増)
17万1,508 (前月比105人増)

4月の交通事故592件 死者1人 負傷者794人

4月の火災13件 緊急出動回数1,248件


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