更新日:2022年9月12日
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広報こしがやお知らせ版 平成30年7月の越谷市制施行60周年企画 きせき 越谷の軌跡(16面)(カラー面)
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越谷市制施行 60周年企画 きせき 越谷の軌跡
越谷今昔物語 第九話 越谷市内の元荒川
多くの子どもたちでにぎわう水練場=昭和32年ごろ
荒川は江戸時代以前は現在の元荒川筋を流れていたが、寛永6年(1629年)に和田吉野川に付け替えられ、入間川筋を本流とする流れに変わった。この瀬替えにより荒川は元荒川と称された。元荒川は上流や中流ではところどころにせきが設けられたため下流に流される水量は激減し、元荒川を水源とした瓦曽根溜井には水が入らず、用水に差し支えるようになった。
この水量不足を補うため開発された中島用水は松伏せきでせき止められ、松伏領や新方領の用水にも用いられたが、多くは大吉村から大沢の地蔵橋地先の元荒川に至る長さ1,760間(約3.1キロメートル)の新水路に流された。この用水路は鷺後用水路と称されたが、水元の水門が閉鎖される用水不用の季節には元荒川がこの水路をつたって逆流したので、通称逆川と呼ばれた。
元荒川は大沢地蔵橋からてんぐの鼻状に花田村をう回し、小林村東福寺前から瓦曽根溜井に通じていた。この流路はその元にあたる越ヶ谷天嶽寺前から小林村東福寺にかけ、直流の新川が開削された。これは中島用水が開発された治水対策に伴って施工された一連の工事と見られる。
天嶽寺前の寺橋付近は流れも穏やかで、昭和35年までは子どもたちの水練場となり、子どもたちが元気に泳ぐ姿が夏の風物詩となっていた。寺橋は取り壊され、昭和34年に宮前橋が完成。その後、平成15年に架け替えられ、現在は長さ70メートル、幅6メートルの、歩行者・自転車専用の橋となっている。
(参考:越谷市史一、葛西用水史通史、越谷市制施行50周年記念誌)
現在の宮前橋。橋の下を流れる元荒川の流れは今も穏やか
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江戸初期の元荒川改修後の中島用水流路
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越谷市60周年おめでとうございます! 私は中学1年生のとき、越谷に引っ越してきました。学生のときはシンクロナイズドスイミング(以下、シンクロ)の練習が大変でしたが、休みのときには母と越谷レイクタウンに行ったりしました。今は越谷を離れて1人暮らしをしていますが、実家に帰るとレイクタウンに行きたくなります。レイクタウンは買いたいものをすべてそろえられてとても便利ですね。 6年前、ロンドン2012大会代表に選ばれ激励会をしていただいたことがあり、そのときに私の顔が描かれたケーキをいただきました。食べるのがもったいなかったのですが、家族みんなでおいしくいただきました。それがとてもうれしく大変心に残っています。 現在は、大学の学生たちにシンクロの指導をしながら、男女ペアで行うミックスデュエットに取り組み世界選手権を目指しています。 これからも越谷市から多くのアスリートが育っていってほしいです。また皆さんに、シンクロに興味を持っていただけたらうれしいです。 *シンクロナイズドスイミングはアーティスティックスイミングへ名称が変わりました |
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■国士舘大学シンクロナイズドスイミング部監督兼アーティスティックスイミング選手/ロンドン2012大会日本代表 1989年2月7日生まれ。越谷南中学校、浦和東高等学校、国士舘大学卒業 | |
市の人口 平成30年6月1日現在
人口 | 34万1,579人 | 前月比358人増0) |
世帯 | 15万1,889世帯 | (前月比313世帯増) |
男 | 16万9,885人 | (前月比172人増) |
女 | 17万1,694人 | (前月比186人増) |