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DJ IZOHさん
世界一を取ったターンテーブリストとして、常に最先端の音と技術を追い求めていきたい
「ターンテーブル」というレコード再生装置を駆使して、独創的な音の世界を創り出すDJ(ディスクジョッキー)。越谷出身のDJIZOHさんは、さまざまなDJのスタイルがある中でも特に多彩な技術が必要とされるターンテーブリストとして平成24年に世界チャンピオンに輝き、その後もオリジナリティあふれる技巧と音で、DJ界をリードする存在です。
DJ IZOH(でぃーじぇい いぞう)さん
プロフィール
本名・工藤康秀。昭和56年、越谷市生まれ。埼玉県立越谷西高校卒。
平成17年、世界最大のDJバトルイベント「DMC」の日本大会で優勝し、世界大会では3位入賞。平成24年の同世界大会で優勝し、念願の世界チャンピオンとなる。
現在はソロ活動だけでなくタローソウル、ラッパーTARO SOULさんとのユニスーパーソニックスット「SUPER・SONICS」として活動するほか、インターネットテレビ「AbemaTV」の番組へレギュラー出演するなど、幅広く活躍している。
初めて知った衝撃的なカッコよさ
越谷で生まれ育ち、釣りと空手を愛する少年だったIZOHさんが、DJを志すきっかけは一本のテレビ番組から。
「忘れもしない中学2年のとき、当時ニューヨークで大活躍していた日本人DJ・hondaさんの特集番組を偶然見たんです。そこに映っていたDJバトルでプレイするhondaさんの姿は、自分がこれまで見たことのない圧倒的なカッコよさで、とにかく衝撃的でした。一瞬でhondaさんの世界すべてに憧れて、自分もこれがやりたい!と思ったんですよ」とIZOHさん。
挫折を乗り越え世界チャンピオンへ
自身がメインでもバックでも変わりなく、モチベーションの高いステージがモットー
そこからあらゆるヒップホップ音楽を聴き、DJの情報を集め始めたIZOHさんは、高校生になるとアルバイトをしてターンテーブルを手に入れ、独学で技を磨いていきます。
「初めてステージでプレイしたのは高校3年のときで、高校生が主催するデイタイムのクラブイベントでした。練習はいつも自宅でやっていたので、実は大きな音を出したことがなかったんです。ステージに立って大きな音でプレイを始めたら、家で練習でやっていた時とは全然感覚が違って、大人数の前でプレイする難しさに気付きましたね」
そんな経験を積み重ねながら、高校卒業後はクラブでDJとして働きつつ、DJバトルの世界大会出場を目指します。
挫折を乗り越え世界チャンピオンへ
DMC世界大会の舞台でターンテーブルを巧みに操るIZOHさん
IZOHさんは平成17年、24歳のときDJバトルイベント「DMC」のJAPAN・DJ・CHAMPIONSHIP(日本大会)で優勝して世界大会に出場を果たし、初出場ながら堂々の3位に入賞。
「3位になったことで、世界チャンピオンまでもうちょっとだ!という気持ちが強くあって、翌年、翌々年とチャレンジしたんです。しかし、2年続けて日本大会で負けてしまって。その時は本当に心が折れましたね。それからはしばらくバトルを忘れて、仕事としてDJを続けていたのですが、そうするうちにふと気付いたんです。自分は勝つことばかりを意識しすぎて、プレイを楽しむことを忘れていたんだと。楽しんでやればいいんだと気持ちを切り替えて再挑戦して、世界チャンピオンになったときはすごくうれしかったですね。これはチャンピオンになった後に知ったんですが、自分の本名の康秀は天下を取ってほしいという父親の願いから、徳川家康と豊臣秀吉の名前から一文字ずつもらって付けたそうなんです。それを聞いたときは、名前負けしなくてよかったと思いましたよ(笑)」
越谷にもっと誇りを持ってほしい
越谷では大きな場所でプレイしたことがないので、レイクタウンでやるのがちょっとした夢ですね
生まれてから38年間、ずっと越谷に住んでいたIZOHさん。
「DJの仕事で海外や日本全国いろいろな場所に行くと、うちのここは絶景だよとかこんなうまいものがあるよとか、土地の人の地元愛をすごく聞かされるんです。でも越谷の人はそういうことあんまり言わないよな〜と思うとすごく悔しくて、自分はもっと地元に誇りを持とう!という気持ちが強くなっていきました。自分が一番誇りたい場所は、北越谷の桜並木ですね。それから釣りができる川があるのも自慢かな。同じDJ仲間や音楽関係の人で釣りが趣味の人は結構多いんですよ。こういう仕事は人がたくさん集まるところで大きな音を出す環境にいるからこそ、人や音に疲れて、1人で静かにできる釣りがリフレッシュになるんです。自分も家で仕事する合間に1時間だけ釣りに行って息抜きしたり、今日は何もやりたくないと思う日は何時間も河川敷で過ごしたりしています。そういう意味では自分が世界チャンピオンになれたのも、集中したり息抜きしたりしやすい越谷に住んでいたおかげかなと思います」
そんな熱い越谷愛を持つIZOHさんですが、実は昨年11月、仕事が多忙なため越谷から転出。
「苦渋の決断でした。でも引っ越す直前にプロバスケットボールチーム・越谷アルファーズの試合前のオープニングセレモニーにお招きいただいて、アルファーズファンの前でプレイできたのは本当にうれしかったし、すごく意味深い体験でした。自分はもちろんこれからも越谷出身のDJとして頑張りたいと思っているので、市民の皆さんも地元をもっともっと誇りに思ってほしいですね」
誰にも似ていないIZOHワールド
今後IZOHさんはターンテーブリストとして、どんな進化を遂げていくのか伺うと、
「楽器ではないターンテーブルという装置を、楽器のように演奏するのがターンテーブルリストの最大の魅力です。自分は世界チャンピオンになった人間として恥ずかしくないようにいつも最先端の技術を持って、いろいろな曲をよりカッコイイ音に再構築すること、そして誰にも似ていない自分独自のサウンドとパフォーマンスを作り上げて、皆さんに届けたいと思っています。ターンテーブリストのパフォーマンスは音楽や曲のことをよく知らなくても、見てもらえれば誰でも楽しめる世界。だから地元越谷の皆さんにもぜひ見てほしいです!」
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広報こしがや季刊版 令和2年3月(令和2年春号)に掲載
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