更新日:2014年9月10日
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女子プロレスラー Hikaru(ヒカル)さん
夏の復帰に備えてのトレーニングも順調。
これからの活躍が期待されているHikaruさんにお話を伺いました。
※広報こしがや季刊版平成17年夏号収録時は全日本女子プロレスに在籍していましたが、現在は仲間たちで新たな団体(PRO-WRESTLING SUN)を立ち上げて巡業に励んでいるとのことです。(平成19年9月5日現在)
※PRO-WRESTLING SUNのURLはhttp://www.sun-sun-sun.jpです。
(広報こしがや季刊版平成17年夏号に収録)
地方巡業が多いので越谷へ帰るとほっとします
「プロレスは最強の総合格闘技だと思っています。辛くて苦しいときが9割、華やかで楽しいときが1割」とさわやかな笑顔で話すHikaruさん。ほかの誰よりもプロレスが大好きだと話します。2600グラムで生まれた小さな女の子が、170センチ70キロの堂々たる体格に成長し、格闘技の世界で大活躍。多くのファンから熱狂的な声援を受け、今や日本の女子プロレス界の主役の座を担っています。
プロレスで活躍するHikaruさん
Hikaruさんは、子どものころからスポーツ大好きで、小学校ではサッカー、中学校では3年間ソフトボールを続けました。小学生までは背が高い方ではなかったけれども、中学1年生の夏休み中に10センチも身長が伸びたとか。
「わたしの育ったところは、越谷でも田んぼが多く緑が豊かなところです。小さいころは、網を持って野原を駆け回ったり、ザリガニを取ったりして遊びましたね。皆仲よしでいじめなんてない、人情のある住み心地のよいところです。近所の家でご飯をごちそうになったり、悪いことをすれば、どこの子かまわずしかられたりしていましたよ。こういうのはずっと残っていて欲しいことですね」
プロレスとの出会いは小学4年生のとき。巡業で来ていた豊田真奈美さんを見て、その強さにあこがれプロレスラーを目指すようになったそうです。しかし、プロレスは大けがと隣合わせの危険なスポーツ。家族には猛反対されました。それでも夢をあきらめきれないHikaruさんは、家族の反対を押し切って大好きな道に進んでいきました。今では、一番反対していたお母様も応援してくれるようになったとか。
「Hikaruという名前は、全日本女子プロレスに入ったときにマネージャーが付けてくれました。リングの上で光り輝くようにという願いが込められています。Hikaruになってからファンが増えたような気がします。名前に負けないように、名前に恥じないようにと頑張ってきたからでしょうか」
熱く語るHikaruさん
レスラーは絶対的な強さがないと続けられないとHikaruさん。厳しさに耐えきれず辞めていく人が多い世界です。リングに上がったら、肉体の強さはもちろん、気力も大切だと話します。
「チャンピオンになったら、追う立場から追われる立場になって、すごいプレッシャーを感じました。
『絶対に負けられない。このベルトは誰にも渡さない』と、それまで以上に練習するようになりましたね。前へ前へと常に上を目指す心は変わらず持っていますよ」
2004年、第45代オールパシフィック王者に
今回のけがを含め、嫌なことや挫折を何回も味わってきたと話すHikaruさん。「プロレスが好き。好きだからこそ、ここにいるんだ」という気持ちがあったから乗り越えてこられたそうです。
「わたしにしか伝えられないことが、絶対にあると思っています。プロレスを通して多くの人たちにそれを伝えていきたいですね。もっと地元で試合がしたいですよ。機会があればリングに立ちたいです」
地方巡業を含めると年間試合数が100を超えるというHika ruさんですが、月に2、3回は実家のある越谷に帰っていたそうです。外に出てみて、より一層越谷のよさがわかったとか。
もうすぐ試合に復帰の予定。今は、けがの様子を見ながらジムでトレーニングに励んでいます。現在の女子プロレスを超えるものを発信していきたいと話すHikaruさん。郷土愛にあふれ、夢と希望でいっぱいの元気な女性です。
プロフィール
プロフィール
本名:塩谷良美(しおやよしみ)。
1981年川口市生まれ。小学2年生のとき越谷市に転入。大袋小、大袋中卒業。高校在学中にプロテストを受け、99年にデビュー。昨年11月、後楽園ホールでオールパシフィック選手権のタイトルを獲得するが、2月のタイトルマッチでのけがのため現在は休業中。この夏に復帰予定。(平成17年7月現在)
広報こしがや季刊版平成17年夏号に収録
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