更新日:2022年9月12日
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広報こしがやお知らせ版 平成29年11月の越谷市制施行60周年企画 きせき 越谷の軌跡(16面)(カラー面)
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越谷今昔物語 第一話 越谷駅とその周辺
まだ高架化されていない線路と越谷駅舎。ホームに到着する直前の電車を北越谷駅方面に望む-昭和35年ごろ。市民提供
平日、上下線合わせて600本以上の電車が発着し、約5万人の人々が乗降する越谷駅。江戸時代から日光街道の宿場まちとして栄えた「越ヶ谷宿」の玄関口だ。
大正9年4月17日、越谷駅が「越ヶ谷駅」として開設される以前は、現在の北越谷駅が「越ヶ谷駅」だった。「町の発展と産業の振興のために町の中心部に駅を」という当時の越ヶ谷町民の熱心な誘致活動の結果、東武鉄道の初の請願駅として新駅・越ヶ谷駅が開設。それに伴い、旧・越ヶ谷駅は武州大沢駅と改称され、昭和31年12月にはそれぞれ越谷駅、北越谷駅と改称された。
平成9年に高架複々線化が完了した越谷駅は、近隣の新越谷駅・南越谷駅周辺がにぎわいの中心となる中、24年9月、市の玄関口にふさわしい新たな顔として生まれ変わる。総事業費259億円(このうち国や県、市が約90億円を助成)を費やし、平成2年から22年の歳月を経て越谷駅東口再開発事業が完了。噴水が設置されていた駅前広場も整備前の2倍の7,000平方メートルに拡張、南北二つのロータリーを擁し、無秩序に乱立していた低層・中高層の建物に替わり越谷ツインシティがオープンした。
平成29年5月には新観光物産拠点施設「ガーヤちゃんの蔵屋敷」もオープンし、さらなるにぎわいの創出が期待されている。
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「越谷今昔物語」では、市民に提供いただいた昔の街並みや生活の様子の写真などを掲載し、越谷の変遷を紹介していきます。
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このころ、越谷では…
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第1回 わたしと越谷市
■モデル/商品プロデューサー 1985年10月13日生まれ。蒲生南小学校、南中学校、草加東高校卒業。20歳までを越谷市で過ごす。 |
生まれ育った越谷市にはたくさんの思い出がありますが、一番印象に残っているのは学生時代の思い出です。例えば、南越谷の阿波踊りと市役所周辺で行われる花火大会。どちらも越谷市の夏の風物詩で、友達や家族と毎年見に行っていました。 南越谷周辺も、学校が終わったあとや休日に友達と過ごした思い出の場所です。当時は「赤いくつ南越谷店」やサンシティの1階にあった「ピザ&パスタるーぱん」によく行っていましたし、ダイエー(現イオン)に入っていた喫茶店の紅茶パフェもとってもおいしくて大好きでした。 私は現在、越谷市には住んでいませんが、実家がある越谷市には息子を連れてよく帰ってきています。息子は実家近くの公民館で私の父と卓球などをして遊んでいるのですが、私自身も昔は父とその公民館でよく卓球をしていたので感慨深いものがあります。 越谷市は本当に住みやすくてすてきな街だと思います。そんな越谷市も来年で60年。今後ますますの発展を楽しみに、これからも遊びに行きます! 60周年、おめでとうございます! * * 「わたしと越谷市」では、越谷にゆかりのある著名人にご登場いただき、本市との関わりや思い出について語っていただきます。 |
市の人口 平成29年10月1日現在
人口 | 34万206人 | (前月比153人増) |
世帯 | 14万9,860世帯 | (前月比137世帯増) |
男 | 16万9,272人 | (前月比69人増) |
女 | 17万934人 | (前月比84人増) |