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越谷市 Koshigaya City

現在地

更新日:2022年9月12日

ページ番号は12606です。

広報こしがやお知らせ版  平成29年12月の越谷市制施行60周年企画 きせき 越谷の軌跡(16面)(カラー面)

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越谷今昔物語 第二話 葛西用水と赤水門


 葛西用水は、農業用水を供給し、田畑への豊かな実りをもたらしている。
 中央市民会館の東側を流れる葛西用水は「瓦曽根溜井」と称され、江戸時代から川をせき止め、かんがい用水として利用されてきた。現在のように元荒川と分離されるまで、大沢の地蔵橋先の御殿町で元荒川と合流していた。当時は水もきれいで、水量も豊かだったため、夏場には遊泳場として多くの人が集まった。
 しかし、昭和30年代に入り都市化が進むと、工場の廃液や家庭排水が流れ込み、瓦曽根溜井の水は汚濁していく。そのため埼玉県は、35年から元荒川の抜本的な改修として瓦曽根溜井の用水分離工事に着手。この事業で葛西用水(逆川)を元荒川と切り離し、元荒川の下を立体交差させ、御殿町から柳町まで新水路が開かれた。柳町から瓦曽根溜井までは中土手が築かれ、現在の姿と同じ2筋の流路となった。この工事は42年にはほぼ終了し、一定幅に狭められた葛西用水の西側は埋め立てられ、現在の市役所や県の地方庁舎が建設された。
 また、江戸時代に石で造られた瓦曽根せきは、大正13年に鉄筋コンクリート造りの門10門を備えるせきとして竣工。その色彩により赤水門(赤門)と呼ばれ親しまれたが、平成9年に取り壊され現在の姿となった。
 現在、水辺には花壇や遊歩道が設けられ、春にはチューリップ、初夏にはハナショウブやアジサイが楽しめる親水緑道として親しまれている。

瓦曽根せき下流の現在の様子。木々に囲まれている

このころ、越谷では…

昭和29年11月 越谷地区2町8カ村が合併し越谷町となる
昭和30年9月 町役場新庁舎が越ヶ谷一丁目に完成
昭和30年11月 草加町の伊原、麦塚、上谷を越谷町に編入
昭和31年10月 第1回町民体育祭が開催される 
昭和33年11月 市制が施行され、「越谷市」が誕生
※ここに注目
 越谷市は来年60周年なのに、市民体育祭が今年で62回目なのはなぜ? これは「第1回町民体育祭」が昭和31年10月21日に開催され、「市民体育祭」となった後も通算回数を引き継いだからです。

第2回 わたしと越谷市

鈴木 健さん
■プロ野球解説者/元プロ野球選手
1970年1月13日生まれ。南越谷小学校、富士中学校、浦和学院高校卒業。



 小学1年生から高校を卒業するまでの学生時代を越谷で過ごし、越谷市には多くの思い出があります。その中でも特に心に残っているのは、市内を流れる元荒川に設けられた赤水門の近くで遊んだことです。小学生のとき、よく友達と魚釣りをしていました。
 今でも魚釣りは好きで、イシダイ釣りに夢中になっています。知り合いのいる宮崎に行き、一日中仲間と一緒に釣りをします。獲れた魚を酒のさかなにするのが最高のぜいたくです。
 そんな魚好きの私は、鮮魚を求めて越谷市場に家族とよく行きます。越谷市場は、鮮魚、青果などの新鮮な食材から日用品まで多くの品がそろっていて、見ているだけでも飽きません。お正月の買い出しのためにも利用しています。おいしくてボリュームのあるランチが食べられるのも越谷市場に行く楽しみの一つです。
 先日、高橋市長とお話する機会があり、越谷の魅力を再認識しました。今後、市のますますの発展のお役に立てるならイベント等にも積極的に参加させていただきたいと思っています。越谷市制60周年! 誠におめでとうございます。

市の人口 平成29年11月1日現在

人口 34万437人 (前月比231人増)
世帯 15万102世帯 (前月比242世帯増)
16万9,414人 (前月比142人増)
17万1,023人 (前月比89人増)

10月の交通事故735件 死者1人 負傷者138人

10月の火災6件 緊急出動回数1,292件


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