更新日:2015年3月16日
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駅伝選手 白吉凌さん
現状に満足せず、常に上を向いて進む。5年後のオリンピック代表を目指します!
東海大学に在籍し、箱根駅伝にも2年連続で出場している白吉さん。
駅伝を始めることになったきっかけ、今後の目標などをお聞きしました!
白吉凌(しらよし りょう)さん
プロフィール
1993年5月31日、越谷市生まれ。
花田小学校・中央中学校時代は少年野球チームで俊足を生かして活躍。
埼玉栄高校入学と同時に駅伝部に入部して陸上選手としてのスタートを切り、北関東高校陸上大会の5,000mで優勝するなど、選手そして主将として力を発揮。現在、東海大学体育学部3年生。
昨年の箱根駅伝1区7位、総合13位。今年は1区12位、総合6位。守りではなく攻めの走りで、来年の箱根駅伝総合3位を目指す。169センチ、49キロ。
偶然の部活動体験から駅伝の道へ
年頭に行われた「箱根駅伝」で東海大学チームの1区を快走し、総合6位という好成績に貢献した体育学部3年生の白吉凌さん。現在はチームを支える走力の持ち主である白吉さんは、小・中学校時代は野球少年。本格的に陸上を始めたのは高校生になってから。
「子どものころから走るのは速かったし、父も兄も陸上をやっていたこともあって、高校では野球をやるか陸上にしようか、中3になって考え始めました。そんなとき兄の友人で埼玉栄高校の陸上部出身の方と会う機会があり、部活動体験に参加してみたらどうかと言われたんです。埼玉栄高校には陸上部と駅伝部があるのですが、日程を調べたら数日後が駅伝部の体験日。本当に偶然の参加でしたね」
と白吉さん。
そこで駅伝部の監督に出会い、「筋がいいから、いいランナーになれる。うちに来てくれないか」と何度も誘われたことから、埼玉栄高校に入り、駅伝の世界に。多くの部員が経験者だったため入部当初は練習に全くついていけなかったものの、持ち前の負けず嫌いな性格で必死に頑張った結果、1年生で全国高校駅伝大会のアンカーに選ばれるまでに成長。
「でもその人生初の駅伝で、入賞ラインの8位でたすきをもらったのに3人に抜かれて11位になってしまいました。あの悔しさは忘れられないし、いまも僕の原動力になっています」
実力だけでは勝てない それが駅伝の魅力
4月から最上級生の4年生。東海大学陸上部の主将となった白吉さんに、駅伝の魅力を尋ねました。
「実力だけでは勝てないところですね。駅伝はチームでやりますが、基本的には個人競技。たすきをつなぐメンバー全員が同じ日にベストな状態で走るのは、本当に難しい。特に箱根駅伝のような1区間の距離が長い大会ならなおさらです。実力通りに行くこともあれば、個々の実力を超えてチームの総合力で勝つこともある。やってる僕らも分からない、それが駅伝の魅力です」
主将として挑む最後の箱根の目標順位は、今年より上の『総合3位』。
「監督の指導をベースにしつつ個人個人のやり方を尊重する練習スタイルが東海大学陸上部の特色。僕自身が率先して自分の走りを磨く姿勢を見せて、チーム一人ひとりの士気を高め、攻めの走りで結果につなげたい」と主将の意気込みはすでに熱く、準備万端。
目標はオリンピック出場と恩師を超えること
大学卒業後は実業団に入って陸上を続ける予定で、「最終目的はマラソン、目標はオリンピック」と夢と語る白吉さんは、5年後の東京五輪のとき、ランナーの円熟期とも言える27歳。期待が大きく膨らみます。そしてさらに選手引退後は指導者になることを考え、大学では教職課程を履修しています。
「小・中・高校、そしていま指導を受けている
いつかは地元の大会に出たい
練習と大会の多忙な日々の合間、越谷の実家に帰省できるのは年に1〜2回。帰ってくると心が落ち着き、生まれ育った場所はいいなと感じるそうです。
「せっかく陸上をやっているので、12月に開催されている市内駅伝大会や元旦マラソン大会に出場したいとずっと思っています。でもその時期は箱根駅伝があるので無理なのですが。いつかは出る! これも僕の目標のひとつですね」
いま自分が走っていられるのは、両親をはじめ応援し支えてくれる人たちのおかげ。感謝の気持ちを忘れず走り続けていきたいと語る白吉さんが、故郷・越谷に凱旋する日は、そう遠くないことでしょう。
広報こしがや季刊版 平成27年春号(平成27年3月15日発行)に掲載
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