更新日:2022年9月12日
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広報こしがやお知らせ版 平成30年1月の越谷市制施行60周年企画 きせき 越谷の軌跡(16面)(カラー面)
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越谷市は今年、市制60周年
越谷今昔物語 第三話(特別編) 60年のあゆみ
昭和50年代に入ると、市立病院の開院など市民の医療や福祉の充実に向けた施策が進められました。越谷コミュニティセンターや北・南・西体育館、市立図書館など市民のふれあいやスポーツ・文化活動を充実させるための施設が整備されたのもこの時期です。 昭和60年には人口が25万人を突破。道路や橋、公園、公共下水道などの都市基盤の整備が進められました。 ◆さらなる都市基盤整備 平成に入ると東武鉄道伊勢崎線の高架複々線化事業が着工されました。また、平成3年に花田苑が開園、平成4年は中央市民会館、平成5年にこしがや能楽堂、老人福祉センター「くすのき荘」が相次ぎ開館し、教育・文化、福祉施設の充実が図られました。市民球場がオープンした平成6年には、市の鳥「シラコバト」をデザインしたしらこばと橋が開通しました。平成8年には人口が30万人を突破し、平成9年の相生陸橋開通により、鉄道で分断された地域がつながりますます利便性が高まりました。 ◆特例市、そして中核市へ 市民と協働のまちづくり 男女共同参画支援センター「ほっと越谷」がオープンした平成13年には、東武鉄道伊勢崎線の高架複々線化が完成し、東西の一体化が進みました。平成15年に越谷市は特例市へ移行し、平成16年には国道4号東埼玉道路の一部(八潮市八條〜越谷市増森)が開通しました。 平成20年、JR越谷レイクタウン駅が開業し、大相模調節池をシンボルとした親水文化創造都市「越谷レイクタウン」がまち開きしました。平成21年には「参加と協働によるまちづくり」の考え方を整理し、これからの越谷市のまちづくりの基本となる越谷市自治基本条例を制定しました。平成24年には越谷駅東口再開発事業が完成、平成26年11月には越谷レイクタウン事業が完成しました。 平成27年4月、越谷市は全国で44市目、県内では川越市に続き2市目となる中核市へ移行し、越谷市保健所が設置されました。中核市移行により、保健衛生や福祉の分野などで県から市に多くの事務権限が移譲され、身近なところできめ細かいサービスを提供できるようになりました。 そして今年11月、越谷市は市制施行60周年を迎えます。 |
越谷市の主な出来事(2)
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越谷市制施行50周年記念式典〔平成20年〕 | 元荒川と葛西用水に架かる しらこばと橋が開通〔平成6年〕 |
中核市移行式〔平成27年〕 | 中央市民会館が開館〔平成4年〕 |
越谷レイクタウン オープニングフェスタ〔平成20年〕 |
一部開通した国道4号 東埼玉道路の開通式〔平成16年〕 |
第3回 わたしと越谷市
■元水泳選手/ロンドンオリンピック・リオデジャネイロオリンピック競泳女子200mバタフライ銅メダリスト 1990年8月21日生まれ。鷺後小学校、栄進中学校、春日部共栄高校、早稲田大学卒業。ミズノ株式会社所属 |
越谷で生まれ育った私には、越谷での思い出が数え切れないほどたくさんあります。その中でも特に思い出深い場所を挙げるなら、久伊豆神社です。大会前には必ず祈願に訪れましたし、大会が終わって帰国するとお礼参りに行きました。初詣にも必ず行きましたね。 2016年のリオデジャネイロオリンピックのときには、越谷市内でパブリックビューイングを盛大に開催していただき、ありがとうございました。また、こしがや田んぼアートで私を描いていただいたことも、とても良い思い出です。オリンピック前は海外にいましたので母に写真を送ってもらい、励みになりました。帰国後に実際に見に行ったときは本当に感動しました。そして帰国後、越谷市民栄誉賞をいただき、多くの皆さんの前で表彰していただいたことは一生忘れません。 現在の私は水泳を引退し、2018年2月のフルマラソンを目指し、練習に励む日々を送っています。まさに水から陸へとフィールドを変え、新たな挑戦をしているところです(笑)。そんな私ですが、これからも越谷市を皆さんと一緒に盛り上げていきたいと思います。大好きな越谷市、60周年おめでとうございます!! |
市の人口 平成29年12月1日現在
人口 | 34万645人 | (前月比208人増) |
世帯 | 15万305世帯 | (前月比203世帯増) |
男 | 16万9,542人 | (前月比128人増) |
女 | 7万1,103人 | (前月比80人増) |