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越谷市 Koshigaya City

現在地

更新日:2007年8月23日

ページ番号は65988です。

こしがや川学(カワナビ)!!

 昔から「水郷こしがや」といわれてきた越谷。地図(下記参照)を見ると、市の周りを古利根川、中川、綾瀬川が囲み、中央を元荒川、葛西用水、新方川が流れていることがわかります。
 そこで、わたしたちの暮らしにとても身近なのに、意外と知らない、越谷の川をナビゲーションしていきますので、皆さんごいっしょに、越谷の川について学んでみませんか?

舟運でにぎわった水郷こしがや

 鉄道や自動車運送が発達する以前、河川を利用した舟運は、一大消費地「江戸」と地方を結ぶうえで、欠かすことのできない物資輸送の手段でした。
 埼玉県は、江戸の後背地であると同時に、東北や上信越方面との中継地として舟運史上大きな役割を果たしてきました。越谷市内を流れる元荒川、古利根川、綾瀬川にも荷を積んだ高瀬舟や大小の運搬船が行き交い、活気を呈していたといわれています。

河岸場(かしば)の繁栄と衰退

 物資を運送する船の発着施設が 河岸 (かし)場です。市内の主要な 河岸 (かし)としては、元荒川の瓦曽根 河岸 (かし)、古利根川の増林 河岸 (かし)、綾瀬川のよしずや 河岸 (かし)、半七 河岸 (かし) 藤助 (とうすけ) 河岸 (かし)などがありました。
 このうち瓦曽根は、溜井と元荒川を区切る「松土手」といわれた中土手に設けられた 河岸 (かし)で、元荒川を上る荷船と下流に下る荷船とが荷を積み替える場所として栄え、溜井の堤通りには 河岸 (かし)問屋が軒を連ねていました。
 また、 藤助 (とうすけ) 河岸 (かし)は、旧日光街道と綾瀬川が交差するという地の利を生かして、綾瀬川を代表する 河岸 (かし)場の一つとして繁栄しました。
 明治の近代化以降、鉄道の普及などで 河岸 (かし)場がつぎつぎと廃止されるなかで、 藤助 (とうすけ) 河岸 (かし)は繁栄を続けました。しかし、大正9年、東武鉄道に越ヶ谷駅が設置されたのを機に次第に衰退し、事実上昭和初期に廃止されました。
 現在、 藤助 (とうすけ) 河岸 (かし)は荷の積み降ろし小屋の一部が復元され、唯一当時の面影を伝えるものとして保存されています。
 この 河岸 (かし)場のほか、市内には河川に架かる橋梁が少なかったため主要な道路にかかる河川には多くの渡船場がありました。
 農業用水、生活用水、そして舟運と、昔から川は、市民生活にとって重要なものでした。ここでは、市内を縦横に流れる河川や用水を取り上げますので、皆さんの暮らしに身近な越谷の川につい
て学んでみましょう。

ちょこっとコラム なんと市内には一級河川が5本も流れている!

 市内には、元荒川、古利根川、新方川、中川、綾瀬川の5本の一級河川が流れています。元々お皿のような地形の越谷市。なので、昔から水害に悩まされてきましたが、今は31カ所のポンプ場や調節池などを設け、水害対策に取り組んでいます。

越谷市内の川

このページに関するお問い合わせ

建設部 河川課 (本庁舎5階)
電話:048-963-9203
ファクス:048-963-9198

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